たっぷり寝たのに、なんだか疲れが取れていない。
反対に、好きなことをして過ごしただけなのに、妙にすっきりした休日もある。
そもそも、私たちは何をもって「休めた」と感じるのでしょうか。
「休んだのに、スッキリしない。」
これは果たして「休めている」のでしょうか。
普段、何気なく使っている「休む」という言葉。改めて考えると、何を指しているのか意外とはっきりしません。
横になった時間でしょうか。何もせずに過ごした時間でしょうか。それとも、疲れが取れたという実感でしょうか。
休息したという事実と、回復したという結果は、同じことなのでしょうか。
休むことについて考えていると、いろんな問いがどんどん出てきます。そもそも「休む」が何を指すのか分からなければ、「休めた」かどうかも判断できません。
特集「休むを科学する」の第1回では、まず「休む」とは何かを考えるところから始めます。研究やデータを手がかりに、これから休息について調べていくための、ひとまずの定義を探してみます。
そもそも、何をもって「休んでいる」とする?
「今日はゆっくり休んでね」
そう言われたら、何をしますか?
寝る。ソファでくつろぐ。お風呂に入る。好きな本を読む。何も予定を入れずに過ごす。
どれも休み方として自然に思えます。
けれど、よく考えると、これらの活動に共通する動作はありません。眠っている人もいれば、身体を動かしている人もいる。何も考えずに過ごす人もいれば、読書に集中する人もいます。
「活動を停止すること」が休息なら、散歩や読書はどうなるのでしょう。
「疲れを取ること」が休息なら、疲れが取れなかった休みは、休息ではなかったのでしょうか。
この疑問は、どうやら研究者にとっても簡単ではないようです。
2016年、看護学の研究者Esther Bernhoferは、医学・看護学・理学療法・心理学・作業療法という5分野から、休息に関する27本の論文を分析しました。
その結果、休息という概念は分野をまたいで一貫して使われておらず、明確な定義や測定方法も十分に確立されていないと指摘しています。
つまり、「休息とは何か」は、科学的にもまだ整理の途中にある問いなのです。
参考:Bernhofer(2016)Investigating the concept of rest for research and practice
では、研究や公的資料では、休むことをどのように捉えているのでしょうか。
「休む」の定義を探してみる
「休む」と「養う」―公衆衛生における休養
まず、日本の厚生労働省による「休養」の考え方を見てみます。
「健康日本21(第三次)」の説明資料では、休養という言葉には「休」と「養」の二つの意味が含まれるとされています。
「休」は、労働や活動によって生じた心身の疲労を解消し、元の活力ある状態へ戻ること。
一方の「養」は、心身の能力を高め、社会的な活動につながる力を養うことです。
参考:厚生労働省「健康日本21(第三次)推進のための説明資料」
ここで興味深いのは、休養が、単に疲労を取り除くことだけを指していない点です。
疲れた状態から元に戻ることと、これからの活動に向けて力を養うこと。休養には、その両方が含まれています。
ただし、今回考えたい「休息」と、公衆衛生で使われる「休養」は、まったく同じ言葉ではありません。
休養の方が、健康づくりや生活全体を含む広い考え方です。
ここではまず、休むことを考えるうえで、疲労の解消だけではない視点があることを押さえておきます。
「負担からどう離れるか」―心理学における回復経験
次に、仕事からの回復を扱う心理学の研究です。
2007年、SonnentagとFritzは、仕事以外の時間に人がどのような経験を通じて回復するのかを調べるため、「回復経験質問票」を開発しました。
研究では、回復に関係する経験を次の4つに整理しています。
| 回復経験 | どのような経験か |
|---|---|
| 心理的離脱 | 仕事のことを考えず、心理的に仕事から離れる |
| リラックス | 緊張や興奮が和らぎ、くつろぐ |
| 熟達経験 | 仕事とは別の分野で挑戦や学びを経験する |
| コントロール | 自由時間の過ごし方を自分で決める |
参考:
Sonnentag & Fritz(2007)The Recovery Experience Questionnaire
注目したいのは、「熟達経験」と「コントロール」です。
新しいことに挑戦したり、自分で予定を決めたりすることは、多くの場合、身体や頭の活動を伴います。
それでも、仕事からの回復を考える際には、リラックスとは別の重要な経験として扱われています。
ここから見えてくるのは、何をしているかだけでなく、何から離れ、どのように過ごしているかも重要だという視点です。
ただし、この研究は主に仕事からの回復経験を扱ったものです。すべての活動が疲労回復に有効だと証明した研究ではありません。
「自分の感覚と行動が調和している」―休息の体験から考える
もう少し違う角度から、休息そのものを調べた研究もあります。
2015年、研究者Margareta Aspは、63人へのインタビューをもとに、人が経験する「休息」と「休息ではない状態」を分析しました。
そこで示された休息の中心的な特徴は、感情・行動・動機が調和していることでした。
簡単に言えば、自分がどう感じているか、何をしたいか、実際に何をしているかが、無理なくかみ合っている状態です。
反対に、それらが食い違っている状態は、休息ではない経験として捉えられています。
参考:Asp(2015)Rest: A Health-Related Phenomenon and Concept in Caring Science
これは、休息の効果を実験で測定した研究ではなく、人々の体験から概念を探った質的研究ですが、それでも、考えさせられる視点があります。
身体は横になっているのに、頭の中では「あれもやらなきゃ」と考えている。
反対に、好きなことに集中して身体を動かしていても、今やりたいことができている。
どちらが休まるかは、単純な活動量だけでは説明できないのかもしれません。
「休む」の研究が、同じものを見ているとは限らない
ここまでの考え方を整理すると、次のようになります。
| 視点 | 主に注目するもの |
|---|---|
| 公衆衛生の休養 | 疲労からの回復と、心身の力を養うこと |
| 労働心理学の回復経験 | 負担から離れた時間に、どのような経験をするか |
| 休息の体験研究 | 本人がどのような状態を休息として経験するか |
同じ「休む」に関係する研究でも、見ているものは少しずつ違います。
疲労が解消されたか。
負担から離れられたか。
本人が休まると感じたか。
これらは互いに関係していますが、同じ問いではありません。
そして、もうひとつ区別しておきたいことがあります。
それが、休息と回復の違いです。
休息は、負担を減らしたり、そこから離れたりするための時間や状態、行動として捉えられます。一方、回復は、負担によって生じた変化が和らいでいく過程や、その結果に注目する言葉です。
もちろん、研究分野によって使い方には幅があります。
ただ、少なくとも「休息すること」と「回復したこと」を区別しておけば、最初の疑問をもう少し正確に考えられそうです。
「休めた」は、どうやって確かめる?
ここまでで、休息にはさまざまな捉え方があることが分かりました。
では、実際に休めたかどうかは、何を基準に判断すればいいのでしょうか。
本人が「休まった」と感じること
2016年に報告された国際調査「The Rest Test」では、世界134か国から1万8,000人以上がオンライン調査への回答を試みました。
調査では、休息に対する考え方や、どのような活動を休まると感じるかなどを尋ねています。
休まると感じる活動の上位には、次のようなものが並びました。
| 順位 | 活動 |
|---|---|
| 1 | 読書 |
| 2 | 睡眠・昼寝 |
| 3 | 自然を眺める、自然の中にいる |
| 4 | ひとりで過ごす |
| 5 | 音楽を聴く |
| 6 | 特に何もしない |
| 7 | 散歩 |
| 8 | 入浴・シャワー |
参考:The Rest Test — Table 8.2(休まると感じる活動の順位)
読書が1位というのは、少し意外かもしれません。
ただし、この順位は、各活動による身体的な回復効果を比較したものではありません。あくまで回答者が「休まると感じる」と選んだ活動の順位です。また、自発的に参加した人々への調査なので、世界全体の人々の好みを代表する結果とも言えません。
それでも、この調査からは重要なことが読み取れます。
人が休息と感じる活動は、眠ることや何もしないことだけではないということです。
同じ調査では、過去24時間に休息を多く取ったと答えた人ほど、主観的な幸福感が高い傾向も見られました。
ただし、これはある時点での関連を調べた結果です。休息が幸福感を高めたのか、幸福感の高い人が休息と呼べる活動を多く行えたと感じたのか、因果関係までは分かりません。
「休まった」という感覚は大切な情報ですが、それだけで休息の効果をすべて説明できるわけではなさそうです。
疲労感と、実際の機能の変化は同じではない
では、もっと客観的に測ればいいのでしょうか。
ここで参考になるのが、疲労研究です。
疲労については、本人が感じる疲れと、実際の作業能力の変化を区別する考え方があります。
例えば、長時間の作業をしたあとに「ものすごく疲れた」と感じていても、測定した作業成績が大きく落ちているとは限りません。
反対に、本人がそれほど疲れを感じていなくても、作業の正確さや持続能力に変化が現れる場合があります。
2013年の神経疾患に関する研究では、主観的な疲労感と、課題を続ける中で測定される能力の低下を区別する枠組みが提案されました。
また、2022年に発表された疲労研究のレビューでも、主観的な疲労と客観的なパフォーマンスの変化を分け、それらの相互関係を考える重要性が論じられています。
参考:Klugerら(2013)Fatigue and fatigability in neurologic illnesses
参考:Fatigue and Human Performance: An Updated Framework(2022)
もちろん、これらは疲労に関する研究であり、休息の効果を直接定義したものではありません。
しかし、「疲れが取れた」という言葉に、少なくとも異なる側面が含まれることは分かります。
本人が感じる疲労感が軽くなったこと。
身体的・認知的な作業能力が回復したこと。
どちらも意味のある変化で、同時に起こりうるものですが、必ずしも一致するわけではありません。
では、何を測ればいいのか
ここまでを踏まえると、「休めた」を確かめる方法は、ひとつではなさそうです。
例えば、次のような観点が考えられます。
| 観点 | 確かめること |
|---|---|
| 休息の時間・行動 | どれくらい負担から離れ、何をして過ごしたか |
| 主観的な状態 | 疲労感、緊張感、気分などがどう変わったか |
| 身体・認知機能 | 特定の課題で測定した能力などがどう変わったか |
| 回復経験 | 心理的に離れられたか、自分で過ごし方を選べたか |
ただし、この表のすべてを測定すれば「休息度」なるものが算出できる、というわけではありません。
何を調べたいのかによって、適切な指標は変わります。
筋肉の疲労を調べる研究と、仕事による心理的な負担を調べる研究では、測るべきものが違うのは当然です。
つまり、「休めたか」を判断するには、まず「何がどう変わることを期待しているのか」を明確にする必要があるのです。
休息時間が長かったことは、十分に回復した証明にはなりません。
一方、本人の「休まった」という実感も、客観的な測定ができないからといって、無意味なものではありません。
どちらか一方だけで、休息のすべてを語ることは難しそうです。
休んだのに、疲れている
ここで、最初の疑問に戻ります。
休日に一日ゆっくり過ごした。身体もほとんど動かしていない。それなのに、疲れが残っている。
休んだはずなのに、どうしてでしょうか。
ここまでの整理に従えば、必ずしも矛盾ではありません。
活動を中断することと、負担によって生じた変化が十分に回復することは、同じではないからです。
また、身体的な負担を減らせていても、心理的な負担から離れられていない可能性もあります。
ただし、疲労が残る原因はさまざまで、休み方だけで説明できるとは限りません。十分に休んでも強い疲労が続く場合には、健康上の問題が関係していることもあります。
休んだはずなのに回復できていない実感があると、何となく虚しさや罪悪感を感じることもあります。でも、疲れが残っているというだけで、休息が無意味だったとは言えません。
むしろ、「何から離れる必要があったのか、何が回復していないのか」を考えることが、今の自分に必要な休息を見つけるヒントになるのかもしれません。
活動したのに、スッキリしている
反対に、休日に散歩をしたり、趣味に没頭したりして、身体や頭を使ったはずなのに気分が軽くなることもあります。
これも、活動量だけを基準にすると不思議に思えます。
けれど、心理学の回復経験研究では、仕事から離れることや、自由時間を自分で決められることなどが、回復に関わる経験として扱われていました。
ある活動が身体的には負荷を伴っていても、別の種類の負担から離れる時間になることは考えられます。
The Rest Testで散歩や読書が上位に挙がったことも、人が休息と感じる活動の幅広さを示しています。
もちろん、活動すれば必ず疲労が回復するという話ではありません。
身体を使ったことと、心理的に休まったことは、両立し得る。
ひとまずは、そう整理できそうです。
「休む」をどう捉えるか
調べ始めた時は、「休息とは何か」という問いに、もう少し明確な答えがあると思っていました。
ところが、休息の定義そのものが研究の対象になっていて、分野によって注目するものも異なります。そして、休息したという事実と、回復したという結果も、必ずしも一致しません。
では、私たちは何を「休む」と呼べばいいのでしょうか。
今回の研究から考えると、休むことは、単に活動を止めたり、負担を減らしたりすることだけではなさそうです。
何もせずに過ごすことが休息になる場合もあれば、好きなことに取り組む時間が休息になる場合もある。普段とは違う活動に集中することや、自分で過ごし方を決められることも、回復に関わる経験として研究されています。
ただし、だからといって、休む時間に何かを得る必要があるわけではありません。
新しいことを学んでもいいし、何もせずに過ごしてもいい。どちらも、休むことから外す理由はなさそうです。
もうひとつ考えたいのが、回復という結果です。
休息の時間を取れたことと、疲労が回復したことは、同じではありません。
疲れが残っていても、負担から離れる時間は取れていたかもしれない。反対に、気分がすっきりしていても、身体の疲労まで十分に回復しているとは限りません。
「休めた」という言葉には、休息を取れたという意味と、回復を実感したという意味が、混ざっているのかもしれません。
だからこそ、回復したかどうかだけで、休息できたかどうかを決めなくてもいいと考えます。
ここまでを踏まえて、ちるわりでは、ひとまず「休む」を次のように捉えてみたいと思います。
休むとは、回復する余地をつくること。
この定義は、学術的に統一されたものではなく、今回の調査を踏まえた、ちるわりとしての暫定的な考え方です。
負担を減らすことも、そこから距離を取ることも、別の活動に取り組むことも、その余地をつくる方法になり得ます。
そして、余地をつくれたからといって、必ず回復するとは限りません。何なら、回復できたかどうか、すぐに答えを出さなくてもいいのかもしれません。
回復したいは大前提。でも、結果に囚われすぎず、とにかく休みましょう。
何をしたか。どう感じたか。そして、その時間を経て何が変わったか。
これらを分けて考えることで、休息のさまざまな側面が見えてくるのではないでしょうか。
「休む」とは何か。
身近な言葉ですが、まだ分かっていないことも、考えたいこともたくさんあります。
ちるわりでは、これからも研究やデータを手がかりに、この問いを考え続けていきます。
特集「休むを科学する」の第1回としては、まずこの定義を出発点に。
ここから、いろいろな「休む」を調べていこうと思います。